⑦他人の受け入れられない部分は、自分の受け入れられない部分と同じです
周りの目って人に接さない限り避けられないですよね…。
やはり、自分の意識?なんですね…!
人の目ばっかり気にしてると、変われるものも変われませんよね。
私はそのことをずっと悩んでたんですが、219さんが
書いてくださったことを読み、少し解決できたように思えました。
本当、助かりました。答えてくださってありがとうございました。
エゴにすぐ反応し、すぐマイナス思考になってしまいますが、
頑張ってみようと思います。
227 :幸せな名無しさん:2014/03/15(土) 19:01:49 ID:2aResE1A0
今日ちょっとした気付きがあったんだけど、
イケメンな自分なら顔について悩まないよなーと思ったんです。
不細工という前提があるから「イケメンになりたい」という願望が生まれる。
で、願望が叶わないのは願望のまま握りしめてるからかなと思ったんです。
今、イケメンという願望?が叶ったら、エゴからしたら意味不明だし 、
そんなことあり得ないという。しかし、皮肉なことに「イケメンになりたい」と
思ってる限り残念ながらいつまでも、その願望が叶いつづける。
頭のおしゃべりはどうすることもできないけど、イケメンになった自分が
不細工前提の思考をすることは可笑しい。ただどうすることもできないから、
内面(イケメン)を真実として普通に過ごす。
神におまかせって意味不明だったけど、繰り返される思考に惑わされないで、
真実を向き続けるってことなのかなとおもった。
229 :幸せな名無しさん:2014/03/15(土) 20:22:53 ID:Q0HG65Tc0
昨日1からスレを読み返して主さんのレスをコピペしてたんですが、
u4式について触れたのも主さんですよね?
五年も潜在意識について学んだりあのサイトも見てたのに見たことなかったです。
ただ理解しながら読むととても時間がかかりますねw
そこに書いてあった、やり方を探して読む云々が私にはとてもしっくり来ました。
主さんの書いてあることも、繰り返し読んでは「それで、どうやればいいんだ?」
って思って、質問が尽きなかったです。
自分の顔を見るたびに嫌で嫌で、笑顔なんてもっと不細工、全然可愛くない、
あのころに戻りたいって、とにかく自分の顔に自信なかったんですが、
今は鏡の前で笑顔になるのが楽しいです。ちゃんと、可愛いって思えます。
美少女の子と比べるけど私もくなりたいって思います。嫉妬がないです。
諦めるまでまだいけてないのですが、本当にありがとうございます。
234 :幸せな名無しさん:2014/03/15(土) 22:07:01 ID:ForiLlXM0
>>225さん
人の目を気にしていても顔は変わりますよ。
ただ、人の目を気にしてると願望と結びつけやすいだけですね。
それと、マイナス思考になっても自分を責めてはだめですよ。
それはエゴによりもたらされた思考であって、225さんがもたらしたんではないんですから。
>>227さん
227さんもうちょっとだと思いますよ!
けど、ちょっと惜しいかな?
イケメンになった自分が、不細工前提の思考をするということ。
これについてちょっと考えてみてください。
227さんは、イケメンの自分は不細工前提の思考をしてはいけないんですよね?
そもそも不細工前提の思考ってなんですか?
それこそ、エゴが不細工という前提を作ってるんじゃないんですか?
それと、神に委ねるというのは別の領域を完全に信じるということです。
>>229さん
u4式に触れたのは確か私ですね。よかったら読んでみてください。
けど、コピぺなんて恥ずかしいなwそんな大それたこと書いてないのにw
まあ質問は尽きないことはいいことだと思いますよw
私も勉強になりますし。こちらこそありがとうございます。
それと、229さんだけでなく、全ての人は美人で、イケメンなんです。
それをエゴに錯覚させられているだけです。
だからもっと自分を可愛いとか褒めてあげてください。
231 :220:2014/03/15(土) 21:03:32 ID:hOe6XGy20
226さんは、森田療法について書かれてましたね。
私は森田療法で大分良くなってきています。
あれこそまさに226さんが仰る内容を現実世界で実践していく方法だと思います。
しかし欲があるので、一生このままで良いというお話なのに、更にお聞きしたいです。
>精神病はだいたい他人が存在するから起きると思うので、
他人に対しての考えを変えないと、中々難しいものがあると思います。
とのことですが、これはどういうことでしょうか?
例えば、気に入らない人間が何人も居るというか、
ほぼ人類全て気に入らないようなものなんですけど
どうして行けば良いのか、何かヒントを頂けないでしょうか?
235 :幸せな名無しさん:2014/03/15(土) 22:49:31 ID:ForiLlXM0
>>231さん
231さんは森田療法を使っていたんですね。
森田療法は潜在意識と同じことなので、すごいいいと思います!
それと、欲があるのは全然いいと思いますよw
私もこのスレで神に委ねることを全面的に書いていましたが、
色々知ってから神に委ねるほうがわかりやすいですし。
>どうして行けば良いのか、何かヒントを頂けないでしょうか?
この話は7章も混ぜて話させていただくので、もしかしたら混乱するかもしれません。
では、説明させていただきます。
まず、他人の気に入らない部分というのは
自分がそれをすることを、許せないということです。
例えば
Aさんは食べ物を口を閉じて食べます。
それに対してBさんは口を開けて食べます。いわゆるクチャらーです。
そしてAさんは口を開けて食べるということをしません。
なぜなら、それは非常識なことだと知っているからです。
だから、口を開けて食べることに少なからず嫌悪感をもっています。
そして口を開けて食べることを絶対にしません。
けど、Bさんはそれを非常識なことだと知りません。
子供の頃から口を開けて食べてるからです。
簡単にいうと、習慣になっているからです。
そして当然Aさんと、Bさんが食事会をしたら、
当然のようにAさんはBさんの食べ方に嫌悪感を抱きます。
Aさんは自分が口を開けて食べることを許せません。
だから口を開けて食べる人も許せません。
けど、それに対してBさんはAさんの食べ方を特に気にしません。
それはBさんが、口を開けて食べることが習慣になっており、
それが常識的じゃないことを知らない。
もしくは、そんなちっちぇことどうでもいいよと思っている。
そもそも、神経が図太くなきゃ、大人になったら口を開けないようにはするはずですから。
他のいい例でいうと、努力を一生懸命している人が全然努力をしてない人に
「なんで努力しないんだよ!」とキレたり
「なんであいつは努力してないのに、あんなに上手くいくんだよ…」と妬んだりすること。
これも、自分が努力をしないことを許せないんですね。
だから先ほども言ったように、他人の許せない部分、受け入れられない部分は、
自分の許せない部分、受け入れられない部分ですね。
だから自分を許すということが、他人を許すということになります。
ちなみに許すということは、別にそれをやっても構わないということで、
実際にやることではありませんよ。まぁ、ある意味現実には自分を許すチャンスも、
他人を許すチャンスも腐るほど転がってるってことですね。
だから2chのスレにしても、他人のレスが気に入らなかった時は、
自分の気に入らない部分を知れるチャンスってことですね。
まずは、他人の気に入らない部分について書きました。
それで、次は他人を意識してしまう。緊張してしまう場合どうするのか?
っていうのを書きますね。
これは自分もまだ完全にまとまってませんが、それなりに書けると思います。
240 :幸せな名無しさん:2014/03/16(日) 21:11:37 ID:Y64EtunQ0
スレチかもしれませんが、昨日の続きを書きますね。
人間は色々な場面で緊張したり、他人を意識したりすると思います。
例えば、公式戦などの重要な舞台。ほとんどの人が緊張に悩まされると思います。
けど、不思議なことに緊張しても上手くいく人と、上手くいかない人がいます。
ここの違いはいったいなんなんでしょう?
それは緊張に対してのアプローチの違いです。
前者は緊張に対してのアプローチが比較的軽い、
もしくは緊張と舞台についてを関連付けていないんです。
「緊張してもいいし、緊張しなくてもいい。まあ無くなったらラッキーだな。」
もしくは
「緊張なんて、無駄に抵抗すればするほど緊張してくるから、自分でどうこうするのはやめよう」
もしくは
「緊張は緊張であって、舞台とは何ら関係ない。ただ緊張してるだけ。」
という感じですね。
これらに共通するのは、緊張をコントロールしていないということです。
緊張を受け止めてどうこうしようとはしない。そのままにしておく。
そして、他のことを考える。
けど、他のことを考える時も緊張から逃れる為にしているのではないです。
ただ単に他のことを考えているだけです。
逆に緊張に呑まれてしまう人の場合は、この緊張を無くそうと必死になってしまいます。
手に人という文字を書いて、飲んだり。私は緊張してない!と言い聞かせたり。
別に手に人という文字を書いて書くのが、有効じゃないというわけではありません。
ただ、緊張に対しての執着度が高い為に有効じゃないんです。
そして、そんな思いとは裏腹に、緊張は収まる気配はありません。
それで、結局緊張したまま本番に望むと思います。
そうして、緊張に呑まれ舞台も散々な出来栄えに。
そして、それだけならいいんです。
けど、この場合無意識の内に思考とともに自分を責めてしまうと思います。
「なんで俺は肝心なところで緊張するんだよ…緊張さえなければ!
いつも通りやれば、俺はもっとすごいのに!」
そうして自分を責め続けるとだんだんとドツボにハマり、精神が侵されていきます。
「あー、俺はやっぱりダメなんだ…」
そうして、緊張する度に自分を責めていく内に、大きな舞台だけではなく、
小さな舞台でも緊張するようになっていきます。
そして自分を責める頻度が増えていき、ついには精神病になってしまいます。
「俺は何をやってもダメなんだ…どうしよう…どうしよう…
きっと、あいつらは俺のこと影でなんか言ってるんだろうな…」
さらに精神病になると、舞台だけではなく、
どんな場面でも緊張するようになり、他人も気になっていきます。
そうして、ついには引きこもりになっていきます。
「現実って本当に不都合だ…なんで俺ばっかりこんな目に合うんだよ…」
彼は現実を不都合と認定し、自分を責めることをやめません。
彼が自分で、この状況を創造したとも知らずに…
続く
241 :幸せな名無しさん:2014/03/16(日) 21:50:54 ID:Y64EtunQ0
緊張について書くついでに、自分を責めるということについても、ついでに書きました。
さて…
後者の場合、いったいどうすればよかったんでしょう?
これは簡単にいうと、緊張をコントロールするのをやめればよかったんです。
緊張を受け入れ、許し、愛すということです。
けれど、言葉にすると簡単ですが、実際にやると簡単ではありません。
なので、理解出来ればそれより簡単な方法を説明させていただきます。
こっからのお話は、もしかしたら混乱するかもしれません。
「い、今から僕にとっての大舞台だ…緊張するなぁ…失敗したらどうしよう…不安だなぁ…」
なぜ、大舞台だと緊張するんでしょうか?
なぜ、失敗について不安になるんでしょうか?
そもそも、大舞台って誰が決めたんですか?
大舞台で、緊張するって誰が決めたんですか?
失敗の定義は誰が決めてるんですか?
もうなんだこいつ?ってどころじゃないですね…
けど、よくよく考えて見てください。
なんで、いつもの練習だとそれほど緊張しないのに、大舞台だと緊張するんでしょうか?
「そりゃ、大舞台だからだよ!人生がかかってるしな!」
そうかもしれません。けど、これを言ってるのはいったい誰なんでしょうか?
本当にこれは大舞台なんでしょうか?
本当に人生がかかってるんでしょうか?
い っ た い 誰 が 今 の 状 況 を 難 し く さ せ て る ん で し ょ う か ?
答えはエゴです。
今までの記憶と、現実により、大舞台というところに自然な感じで緊張を関連させてきます。
これはu4さん式に言うと、エゴにより○○な私を選ばされているということですね。
(詳しくは、u4式3.現実のリアクションマシーン化対策をお読みください。)
だから本来、緊張は緊張でしかありません。
大舞台も大舞台でしかありません。
(大舞台の場合、大舞台ではなく、ただそれをする場かもしれませんが。)